東京ヤクルトの応援から感じる世相の変化 ― 2012年04月03日 21:38
今日は、スワローズの本拠地開幕戦が
中止となってしまいました。
昨年からのにわかファンとして、スワローズの応援を見ていて
最近感じることを雑談してみたいと思います。
応援団が数年前に「くたばれ読売」の歌詞を「東京ヤクルト」に変え、
最近の試合では両方の歌詞が入り乱れる状況となっております。
どっちがいいとか悪いとかを言いたいわけではありません。
応援団の考え方を十分理解しています。一方でちょっとだけ複雑な
思いを感じました。
一言でいうと、自分は年をとった、時代の流れを感じた、
ということでしょう。親父の戯言レベルの話です。
昔のように、スワローズファンが少数派でかつ球団が弱かった
時代にはかわいい負け惜しみに聞こえていたと思われます。
ケンカに負けて「おとといきやがれ」と粋がっているような
江戸っ子に、社会は寛大でした。
また、「野球はドラマだ人生だ」の歌詞のごとく、野球に人生を
照らし合わせて観戦しているオールドタイプ(私のような)の人間は、
自分の人生の何かや誰かに対して退廃的に「くたばれ!」と
叫びたくなる時も往々にしてあります。この言葉が誕生した背景は
わかりませんので仮説に過ぎませんが、読売が、その何かや誰かの
象徴足りえて、「くたばれ!」と叫びたくなる時代背景が、昔確かに
存在していたように思えます。
最初は、誰かの心の中から自然発生的に生まれた心の叫びだった
のではないかと憶測します。
しかし、スワローズが弱者から強者へ変わってしまうと、
負け惜しみは嫌味に聞こえ、世間は、くたばれという言葉が
「上品ではない」「聞いていて不愉快だ」「相手を思いやる気持ちが
無い」という反応に変わります。これが時代の趨勢です。
スワローズが強者となった証(代償?)として強者の応援に
変わらなければならなくなってしまいました。
更に、応援の定義が変わってきているとも感じています。これは
強者弱者関係なく感じます。
昔、高校野球の応援では「○○倒せー」という応援は普通に
行われておりました。
いつしか応援の定義が変わり、相手のことに言及することはタブーに
なってしまいました。
これも時代の趨勢です。
「くたばれ」の次には、「○○倒せ ぶっとばせ」そしてその次には
「KOKO ○○」に矛先が向けられるのが時代の趨勢なのかも
しれません。愛着ある応援歌が変わっていくことに寂しさを感じるのは
私だけでしょうか。
まあこれからも、基本は応援団と同じく上品に応援していきますが、
酔っ払って、時々、心の叫びとして「くたばれ!」と叫んでしまうかも
しれません。
(読売に対して積極的に言っているわけではありませんが)
今から言い訳しておきますが、野球場って昔は下衆の集まり
だったんです。不愉快だと言わずに、まあ許してくださいませ。
中止となってしまいました。
昨年からのにわかファンとして、スワローズの応援を見ていて
最近感じることを雑談してみたいと思います。
応援団が数年前に「くたばれ読売」の歌詞を「東京ヤクルト」に変え、
最近の試合では両方の歌詞が入り乱れる状況となっております。
どっちがいいとか悪いとかを言いたいわけではありません。
応援団の考え方を十分理解しています。一方でちょっとだけ複雑な
思いを感じました。
一言でいうと、自分は年をとった、時代の流れを感じた、
ということでしょう。親父の戯言レベルの話です。
昔のように、スワローズファンが少数派でかつ球団が弱かった
時代にはかわいい負け惜しみに聞こえていたと思われます。
ケンカに負けて「おとといきやがれ」と粋がっているような
江戸っ子に、社会は寛大でした。
また、「野球はドラマだ人生だ」の歌詞のごとく、野球に人生を
照らし合わせて観戦しているオールドタイプ(私のような)の人間は、
自分の人生の何かや誰かに対して退廃的に「くたばれ!」と
叫びたくなる時も往々にしてあります。この言葉が誕生した背景は
わかりませんので仮説に過ぎませんが、読売が、その何かや誰かの
象徴足りえて、「くたばれ!」と叫びたくなる時代背景が、昔確かに
存在していたように思えます。
最初は、誰かの心の中から自然発生的に生まれた心の叫びだった
のではないかと憶測します。
しかし、スワローズが弱者から強者へ変わってしまうと、
負け惜しみは嫌味に聞こえ、世間は、くたばれという言葉が
「上品ではない」「聞いていて不愉快だ」「相手を思いやる気持ちが
無い」という反応に変わります。これが時代の趨勢です。
スワローズが強者となった証(代償?)として強者の応援に
変わらなければならなくなってしまいました。
更に、応援の定義が変わってきているとも感じています。これは
強者弱者関係なく感じます。
昔、高校野球の応援では「○○倒せー」という応援は普通に
行われておりました。
いつしか応援の定義が変わり、相手のことに言及することはタブーに
なってしまいました。
これも時代の趨勢です。
「くたばれ」の次には、「○○倒せ ぶっとばせ」そしてその次には
「KOKO ○○」に矛先が向けられるのが時代の趨勢なのかも
しれません。愛着ある応援歌が変わっていくことに寂しさを感じるのは
私だけでしょうか。
まあこれからも、基本は応援団と同じく上品に応援していきますが、
酔っ払って、時々、心の叫びとして「くたばれ!」と叫んでしまうかも
しれません。
(読売に対して積極的に言っているわけではありませんが)
今から言い訳しておきますが、野球場って昔は下衆の集まり
だったんです。不愉快だと言わずに、まあ許してくださいませ。
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